【フィンランド概要】歴史
フィンランドの歴史は大きく分けて、次の4つの区分に分けることができます。

①先史時代(~1100年代頃)
②スウェーデン統治時代(1100年代~1809年)
③ロシア大公国時代(1809~1917年)
④独立後(1917年~現在)

Suomi_historia.png

①先史時代(~1100年代頃)

この期間、現在”フィンランド”と呼ばれている地域では、政治的空白が続いていた
西側にはスウェーデン(カトリック)、東側にはノヴゴロド(正教)の大国がそれぞれ台頭

②スウェーデン統治時代(1100年代~1809年)

1323年 パフキナサーリの条約: スウェーデンとノヴゴロドとの間の国境を確定
 ⇒フィンランドが東西文化の接する地域となる

スウェーデンの法体系・社会体制が根付く
スウェーデン語が公用語となる
中心地はトゥルク

1548年 ”フィンランド語 書き言葉の父”であるミカエル・アグリコラにより、新約聖書がフィンランド語訳される
1648年 スウェーデンが領土を拡大し、バルト帝国と呼ばれる国家体制を築く
1721年 バルト帝国が崩壊

③ロシア大公国時代(1809~1917年)

1809年 フィンランドはロシア大公国領となる
 →高い自治を認められたことから、国家としての態勢を整え始める

この期間もスウェーデン時代の法律、社会制度、宗教、言語(スウェーデン語)が継続される

1831年 フィンランド語を話す民衆間の伝承を集めることを目的に、SKS(フィンランド文学協会)が設立される
 →ヨーロッパ各地のロマン主義の流れを受け、民族意識が高まる
 ⇒民族ロマン主義

1835年 エリアス・リョンルートにより、民間伝承を基に編んだ叙事詩『カレヴァラ』が出版される
 <<カレヴァラの意義>>
 ・フィンランド人に歴史を与えた
 ・フィンランド民族としての意識を高めた
 ⇒”民族は独立すべし”という考えに発展していく

1850年 検閲条令による出版物の取り締まり
 →民族ロマン主義が高まることを危惧し、ロシアの締め付けが始まる
1863年 身分制議会招集
1863年 スネルマンの功績により、言語令が発布される
 →フィンランド語をスウェーデン語と並んでフィンランドの公用語とする
 ⇒民族ロマン主義の生んだ最大の聖歌の一つ

1878年 自前の軍隊が作られる
 →独立国家への歩み

1899~1905年 第一次弾圧期
 →これまで自治を認めていたロシアがフィンランドを支配する体制が整ってきた

1906年 議会改革により、一院制、普通選挙、婦人参政権が認められる

1908~1917年 第二次弾圧期

④独立後(1917年~現在)

1917年 ロシアで革命(共産党革命)が勃発、それに乗じてフィンランドが独立を宣言
1918年 内戦ならびに解放戦争
 →内戦: 白軍(ブルジョワ階級) vs 赤軍(労働者階級)
  解放戦争: フィンランド人(白) vs ロシア軍(赤)
 ⇒白軍(資本主義)の勝利

1938年 ソ連秘密外交工作(ソ連が都合の良い条件をフィンランドに要求)
1939年 フィンランド、対ソ連交渉を打ち切る
 ⇒ソ連軍がフィンランド領に侵入

1939~40年 冬戦争
1941~44年 継続戦争
 →この戦争により、「ソ連の安定=フィンランドの安定である」という考えに基づく外交政策を今後築いていく
 ⇒「フィンランド化(外交手段の一つとして、近隣の他国と共存していく方法)」

1948年 YYA条約(フィン・ソ友好協力相互援助条約)の締結

1995年 EU加盟
 →これにより完全にヨーロッパの一国となる
フィンランド概要
フィンランドにまつわるアレコレを図にまとめてみました。
(クリックするとPDF表示されます)

Suomi_tieto2016.jpg

参考資料・サイト:
外務省フィンランド基礎データ
世界ランキング(国際統計格付センター)
世界経済のネタ帳-世界のランキング
キッズ外務省-世界いろいろ雑学ランキング
・TRANSIT19号 美しき北欧の光射す方へ, 2012, euphoria FACTORY
【フィンランド概要】政治
フィンランドの政治体制は簡単に描くと以下の図のとおり。

フィンランドの政治体制

●政党
フィンランドにおける政党誕生の流れ
 →言語政党(フィン人党、スウェーデン党)を発端とし、社会政策、思想に従った政党へと変遷していく

フィンランドの主な政党をグループ分けすると以下のようなイメージ。
フィンランドの主な政党

●議会選挙
・一院制(200名)
・比例代表制
・単独政権は実質不可能のため、連合政権が常識
  連合政権のメリット: 極論に走る可能性が少ない、話合いが重視される
  デメリット: 不安定、話合いに長時間を要する
・スウェーデン人民党が政権に加わることが多い

【歴史】概要
フィンランドの歴史は大きく分けて、次の4つの区分に分けることができます。

①先史時代(~1100年代頃)
②スウェーデン統治時代(1100年代~1809年)
③ロシア大公国時代(1809~1917年)
④独立後(1917年~現在)

Suomi_historia.png

①先史時代(~1100年代頃)

この期間、現在”フィンランド”と呼ばれている地域では、政治的空白が続いていた
西側にはスウェーデン(カトリック)、東側にはノヴゴロド(正教)の大国がそれぞれ台頭

②スウェーデン統治時代(1100年代~1809年)

1323年 パフキナサーリの条約: スウェーデンとノヴゴロドとの間の国境を確定
 ⇒フィンランドが東西文化の接する地域となる

スウェーデンの法体系・社会体制が根付く
スウェーデン語が公用語となる
中心地はトゥルク

1548年 ”フィンランド語 書き言葉の父”であるミカエル・アグリコラにより、新約聖書がフィンランド語訳される
1648年 スウェーデンが領土を拡大し、バルト帝国と呼ばれる国家体制を築く
1721年 バルト帝国が崩壊

③ロシア大公国時代(1809~1917年)

1809年 フィンランドはロシア大公国領となる
 →高い自治を認められたことから、国家としての態勢を整え始める

この期間もスウェーデン時代の法律、社会制度、宗教、言語(スウェーデン語)が継続される

1831年 フィンランド語を話す民衆間の伝承を集めることを目的に、SKS(フィンランド文学協会)が設立される
 →ヨーロッパ各地のロマン主義の流れを受け、民族意識が高まる
 ⇒民族ロマン主義

1835年 エリアス・リョンルートにより、民間伝承を基に編んだ叙事詩『カレヴァラ』が出版される
 <<カレヴァラの意義>>
 ・フィンランド人に歴史を与えた
 ・フィンランド民族としての意識を高めた
 ⇒”民族は独立すべし”という考えに発展していく

1850年 検閲条令による出版物の取り締まり
 →民族ロマン主義が高まることを危惧し、ロシアの締め付けが始まる
1863年 身分制議会招集
1863年 スネルマンの功績により、言語令が発布される
 →フィンランド語をスウェーデン語と並んでフィンランドの公用語とする
 ⇒民族ロマン主義の生んだ最大の聖歌の一つ

1878年 自前の軍隊が作られる
 →独立国家への歩み

1899~1905年 第一次弾圧期
 →これまで自治を認めていたロシアがフィンランドを支配する体制が整ってきた

1906年 議会改革により、一院制、普通選挙、婦人参政権が認められる

1908~1917年 第二次弾圧期

④独立後(1917年~現在)

1917年 ロシアで革命(共産党革命)が勃発、それに乗じてフィンランドが独立を宣言
1918年 内戦ならびに解放戦争
 →内戦: 白軍(ブルジョワ階級) vs 赤軍(労働者階級)
  解放戦争: フィンランド人(白) vs ロシア軍(赤)
 ⇒白軍(資本主義)の勝利

1938年 ソ連秘密外交工作(ソ連が都合の良い条件をフィンランドに要求)
1939年 フィンランド、対ソ連交渉を打ち切る
 ⇒ソ連軍がフィンランド領に侵入

1939~40年 冬戦争
1941~44年 継続戦争
 →この戦争により、「ソ連の安定=フィンランドの安定である」という考えに基づく外交政策を今後築いていく
 ⇒「フィンランド化(外交手段の一つとして、近隣の他国と共存していく方法)」

1948年 YYA条約(フィン・ソ友好協力相互援助条約)の締結

1995年 EU加盟
 →これにより完全にヨーロッパの一国となる
フィンランドの民族楽器:Kantele(カンテレ)


カンテレ (kantele) はバルト海周辺の国々で主に演奏されている楽器のひとつで、フィンランドでは19世紀終わり頃から国の楽器と位置づけされています。ツィター属に属する撥弦楽器の一種で、その音はハープ、オルゴールに似ていると称されることが多いようです。

もともとは1片の木をくりぬき、表面に5本の弦を張ったシンプルな作りでしたが、詩や踊りの伴奏楽器として、あるいはソロ楽器としての価値を追求する過程で次第に多弦化されていきました。現在では小さいもので5弦、大きいもので40弦のものがあり、同じ”カンテレ”でも、楽器本体が所持している弦の本数によって形状や音色が異なることも大きな特徴と言えます。

フィンランドの国民的叙事詩『カレワラ』の中にも登場していることから、ツィター創立以前の2000年以上も前から存在するという説もあれば、その歴史は案外短く1000年もないとする説までさまざま。現在見つかっているフィンランドでの最古の5弦カンテレは1698年にクルッキヨキ村で採取されたもので、ヘルシンキにあるフィンランド国立博物館に展示されています。

カンテレと類似した楽器は周辺国にも存在し、それぞれの国の愛称で呼ばれています。

ラトヴィア: コクレ(kokle)
リトアニア:カンクレス(Kakles)
エストニア: カンネル(kannel)
ノルウェー:ランゲレイク(Langeleik)
ロシア:グースリ(Gusli)

【楽器の種類】
上述のとおりカンテレは、元々は5本の弦しかないシンプルな構造でしたが、演奏される楽曲や音楽文化の変遷とともに、その形態もフィンランドならではの発展を遂げていきました。

・5弦~10弦カンテレ
いわゆる"小型カンテレ"とよばれる5弦~10弦カンテレは、膝や台の上におき、指や爪ではじくように弾きます。もっともシンプルでポピュラーな5弦カンテレは、フィンランドの小学校の音楽の授業でも取り扱っています。

・ピッコロカンテレ
5弦カンテレの半分ほどの大きさの小さなカンテレ。5弦カンテレより1オクターブ高い音がでます。

・15~19弦カンテレ
15~19弦は最近ではギターのように肩から下げ、ピックで演奏されることが多くなっています。アンプに通し、他の楽器とのバンド演奏も楽しまれるようになりました。もちろん、5~10弦のものと同様、指で弾いて弾くことも可能です。
15弦では2オクターブのものと、10弦+4弦(低音)のものと2種類あります。

・ホームカンテレ
20弦以上の大きなカンテレで、近年では36弦が主流。半音階の調整は基本的には不可能ですが、製作依頼時に希望の弦ごとに小さなレバーを取り付けてもらうことによって、その弦のみの半音階調整が可能。

・コンサートカンテレ
1920年代、パウル・サルミネン(Paul Salminen)によって開発された、クロマティックレバーによって全域の半音階調整が可能な大型カンテレ。37弦~39弦のものが主流。コンサートカンテレの開発により、今まで不可能とされてきた多くのピアノ曲がカンテレでも演奏可能になりました。

・エレクトリックカンテレ
アンプに通して音を出す電子カンテレが開発され、伝統楽器としてだけではなく、新しいカンテレ演奏スタイルが生まれています。

カンテレに関しては、カンテレ奏者はざた雅子先生のWEBページにて詳しく紹介していますので、そちらもご覧ください。
カンテレ奏者はざた雅子オフィシャルWEB
About Kantele(カンテレについて)