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【Kantele Column】サルミネンとコンサートカンテレの誕生
もともとは5弦を中心に、歌をうたう際の伴奏として用いられていたカンテレ。カレワラ音楽(>>【Kantele Column】『カレワラ』の中のカンテレ)では重要な伴奏楽器として演奏されていました。

1600年代になると、フィンランドの民族音楽に変化が訪れます。
それまでのカレワラ音楽に代わって新しい民族音楽、いわゆるペリマンニ音楽(ポルカなど、農民の間で流行したダンス音楽)が台頭し、それにあわせ伴奏楽器もヴァイオリンやアコーディオンが普及してきます。

民族音楽の変遷とともに、カンテレも多くの曲を演奏出来るようにと改良を余儀なくされます。大型化され、弦の数は20?30本に増加。同時に奏法も変わり、左手で和音、右手でメロディーを演奏するようになります。形式化された楽器・奏法が伝統的民族楽器から芸術音楽用の楽器へと改造されることとなったのです。

半音階にも対応できるようなカンテレが開発されたのは1920年代頃のこと。
コンサートカンテレを開発したパウル・サルミネン(Paul Salminen;1887-1949年)は、もともとヘルシンキフィルハーモニーオーケストラでのトロンボーン奏者でした。さまざまな音楽や楽器に精通していたサルミネンは、1920年頃より半音階調整可能なカンテレの製作に着手しはじめます。歌手でもある妻のイダ(Ida Maria Salminen)と共に各地域でおこなったコンサートでは、自らが開発過程のカンテレで伴奏をつとめています。

半音階調整可能なこのカンテレを、当時はその構造上から"メカニックカンテレ"と称されていました。これが現在のコンサートカンテレにあたります。

サルミネンの開発したカンテレを年代順に並べてみると、その過程や、彼の試みを伺い見ることができます。

■No.1
 製作年:1925年
 製作番号:12
 製作初期のもの。
 このとき、調整用のレバーは左下部(※長い弦を下にして)にあります。


■No.2
 製作年:1936年
 製作番号:55
 調整用のレバーは右下部(※長い弦を下にして)にあります。


サルミネンが開発にあたっていた頃、大型カンテレの演奏スタイルでは民族調のハーパヴェシ(Haapavesi)スタイル(短い弦を手前にして弾くスタイル)が主流でした。それを思うと、レバーが長い弦側にあるのも頷けます。
クラシックスタイル(長い弦を手前にして弾くスタイル)の私からしてみれば、レバーが下にあるとこの上なく扱いづらいですが・・・。

サルミネン没後、彼の遺志を引き継いだスロ・フオタリ(Sulo Huotari)によって改良され、現在の形へと定着していきます。

■No.3
現在主に使われているタイプ
調整用のレバーは左上(※長い弦を下にして)にあります。


サルミネンはコンサートカンテレの開発の他、カレリア地方の伝統曲やさまざまなクラシック曲をカンテレ用に編曲した楽譜集や、チューニング教本などを出版しており、サルミネンはクラシックスタイルの礎を築いたともいえるでしょう。

現在では彼の開発したコンサートカンテレでクラシックの名曲も含め、さまざまな曲がカンテレで演奏されています。

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【Kantele Column】『カレワラ』の中のカンテレ
フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』は1800年代初頭、医師であり民俗学者であったエリアス・ロンルート(Elias Lönnrot)が、フィンランド各地に伝えられている詩歌を採取し、一貫性のある物語としてまとめたもの。神話的な存在として、当時フィンランド人の民族意識を高め多くの影響を与えました。ジャン・シベリウスやアクセリ・ガッレンカッレラといった芸術家たちも、『カレワラ』を題材とした多くの作品を残しています。

『カレワラ』の中では老賢者ヴァイナモイネンによって、まず大カマスの顎骨を枠にして作られますが、これはサンポ戦争の際に湖に沈められてしまいます。その後、自らの悲劇を嘆く白樺の木を枠に、恋人を想って詠う乙女の髪を弦にし、ヴァイナモイネンの手で改めて製作されます。新しいカンテレが完成し、ヴァイナモイネンが奏でると人、動物、植物、天地すらもその音に聴き入ったといいます。

カレワラの詩は常に3音?5音のごく簡素な単声で歌われます。今でも、昔から伝わる"カレワラのメロディ"にあわせカンテレ伴奏のもと歌われています。

エリアス・ロンルートが最初の旅でカレリア地方のイロマンツィという町を訪れたとき、ロンルートはあることに気づき、こう書き記しています。
"Kantele joka talon seinällä."
(ここではカンテレがすべての家の壁にある)

イロマンツィ町章イロマンツィはカレワラの詩がもっとも多く採取された町で、今でも町のシンボルとして3つのカンテレが用いられています。
イロマンツィにある"カレワラヴィレッジ"は、カレリア地方の伝統を今に伝える、村全体がアートミュージアムのような存在。毎年夏になると、村の娘たちによるカンテレコンサートが催されます。

***
?『カレワラ』より

Kuuluvi sorea soitto,
kuului kuutehen kylähän.
Eik' ollut sitä otusta,
ku ei tullut kuulemahan
tuota soittoa suloista,
kajahusta kanteloisen.

Mi oli metsän eläintä,
kyykistyivät kynsillehen
kanteloista kuulemahan,
iloa imehtimähän.
Ilman linnut lentäväiset
varvuille varustelihe,
veen kalaset kaikenlaiset
rantahan rakentelihe.
Matosetki maanalaiset
päälle mullan muuttelihe
-käänteleivät, kuuntelevat
tuota soittoa suloista,
kantelen iki-iloa,
Väinämoisen väännätystä.
---
鳴り響く その美しい調べ
響き届く 6つの村へ
だれ一人聞きに来ない者はいない
森に生きる動物たちでさえ
鳴り響く その美しい調べを
響き渡る カンテレの音を

森に生きる動物たちさえ
その足元へうずくまる
鳴り響く カンテレを聴くために
その喜びを 讃えるために
空を飛び交う鳥たちさえ
小枝の上で待ち望む
水のあらゆる魚たちさえ
岸辺へと泳ぎ来る
地中に息する虫たちさえ
地表へと上がって来る
?誰もがその方に向き直り、聴き入る
鳴り響く その美しい調べに
カンテレの永遠のよろこびに
ヴァイナモイネン その方に

(訳:Mi)

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