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【フィンランドの行事】4月27日 Kansallinen veteraanipäiävä/戦争功労者の日
0427_veteraanip.png 1944年9月にソ連との戦争終結後、国内に残っているドイツ軍を撤退させるために勃発したラップランド戦争では774名のフィンランド人兵士が命を落とし、3000名以上が負傷しました。
1945年4月27日、フィンランド防衛軍によるラップランド戦争ならびに第2次世界大戦の終結宣言をもって、戦争に苦しんできたフィンランドにようやく安寧が訪れたのです。

第2次世界大戦が勃発すると、フィンランドは中立の立場でいることが「危険」という判断から自国のために立ち上がり、ソ連との戦争を覚悟します。
1939年11月、ソ連軍のヘルシンキ、ヴィープリ空爆を機に冬戦争が始まり、1940年2月に一時停戦したものの、再び1941年6月に継続戦争の幕があがり、以後1944年9月までフィンランドは苦しい日々が続くことになるのです。

1939年~1940年の冬戦争中、あくまでも自国を守るため大国に立ち向かうフィンランドに対し、西側諸国からは同情的な意見が多くあがっていました。ところが1941年以降の継続戦争になると、ドイツと軍事的協力関係にあるフィンランドへの各国からの立場は悪く、ドイツに対する憎悪はフィンランドにも向けられるようになっていました。

フィンランドは自分達の戦争は第2次世界大戦とは分離したもの、つまり自分達はあくまでも「独立以降フィンランド領だった地域を奪い返すため」だけに戦っていると主張してきましたが、西側諸国に理解されませんでした。

ドイツとの関係が冷えていたフィンランドは、ドイツが各地で敗北を喫した機会を利用し、1944年8月マンネルヘイム新大統領の働きかけによりソ連との間に臨時平和条約を結びます。

臨時平和条約に基づくと、ドイツ軍は2週間以内にフィンランドから撤退しなければなりませんでしたが、ドイツはこれを不可能だと判断し抗戦に踏み切ります。
こうして始まったラップランド戦争は、フィンランドが平和と安寧、戦争終結への想いをかけた、いわば「最後の戦い」と言えるでしょう。

1987年、フィンランドが独立70周年を迎えた年の記念行事として行われた追悼イベントを機に、戦争功労者の日はフィンランドの旗日となりました。

冬戦争から始まった戦時中の戦死者は8万人を超え、負傷者は実に20万人に達したと言われています。
4月27日、フィンランド人たちは戦争終結を盛大に祝うことはせず、ただただ亡くなった兵士達への追悼と平和を祈り、厳かに過ごすのです。
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